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さんせんギャラリー

「さんせん」の由来

桂川、木津川、宇治川、この3つの川が交わることにより淀川となります。
淀の町は「三川(さんせん)」合流の地であり、この地に集う地域住民の皆様とともに歩む金井病院の存在があるのです。


「春望三川合流」(志村 正 画伯作)

淀の歴史

わが国は、世界に誇る歴史という先人が築いてきた有形無形の文化遺産を継承しています。
京都市伏見区南西部に位置する「淀」も例外ではなく、古代から中世、近世、近代と各時代ごとに独自の豊かな歴史を持っています。淀周辺には、南に男山、西に天王山があり、木津川・宇治川・桂川の三川の合流する水陸交通の要衡にあたり、京の外港として、又、中世には魚の市として栄えてきました。
淀城は、元和九年(1623年)に将軍徳川秀忠の命を受け、松平定信が淀藩三万五千石の居城として築かれました。その後明治四年(1877年)の廃藩措置によって廃城となりましたが、近代城址を管理する京都市によって発掘調査と石垣の修理が行われ、「淀城公園」として整備され、地域の人々の散築・憩いの場となり親しまれてります。又、近年、天守閣の復元も地元の人を中心に計画されています。
「淀の歴史と文化」淀観光協会発行より抜粋


「清辰淀城址」(志村 正 画伯作)

淀城址に咲く「はす」は明治18年頃この塀に植えられたもので、1998年全国花はすの会で淀姫と命名されました。約270年前、淀城主が千葉県佐倉市より取り寄せたものです。